6月2日放送のNHK連続テレビ小説「エール」で、主人公(窪田正孝)のモデルとなった古関裕而さんが作曲した「船頭可愛や」を歌ったのは誰?
歌声が素敵!でしたね。昔の民謡のような歌い方で抜群に歌が上手!!
NHK朝ドラ「エール」で「船頭可愛や」を歌ったのは?
「船頭可愛や」を歌ったのは女優の井上希美(28)さん。
「船頭可愛や」はゆったりとした曲調で、
夢もぬれましょ 潮風夜風 船頭可愛や…
と古き良き時代を感じさせる歌のようです。
「船頭可愛や」(1935年)は大正、昭和に活躍した歌手の音丸さんが歌った曲です。
実際、古関裕而さんの1番初めのヒット曲になります。
この作詞家の高橋掬太郎氏との出会いが
古関裕而さんの運命を変える事になるんですね。
ドラマで曲名は「船頭可愛いや」となっており、げた屋の娘なのですが、
芸者としてレコード会社に連れてこられた藤丸(井上希美)が歌いました。
チーフ・プロデューサーは「昔の民謡のような歌い方をしなくてはならず、高度な技術が求められる。井上さんは見事にこたえてくれた」
と。
「井上さんはミュージカルで、あっという間に主役をつかんだという経歴の持ち主で、抜群に歌が上手なので、それも決め手になった」と井上の起用理由について語っておられました。
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NHK朝ドラ「エール」で歌った井上希美さんとは?
「船頭可愛や」を歌った音丸をモデルとする藤丸を演じるのは 井上希美さん。ツイートしておられます。
劇団四季出身で「美女と野獣」のベル役を演じたこともあるので歌の実力は折り紙付きのようです。
音丸歌唱による「船頭可愛や」を忠実に再現していたとか。
昭和初期の歌手音丸とは?
「船頭可愛や」を歌っていた藤丸のモデルは昭和初期の歌手音丸です。本名永井満津子。
ドラマでは下駄屋の娘という設定ですが、音丸は下駄屋の奥さんでした。
品川宿の天妙国寺にお墓があります。
墓碑の脇には「船頭可愛や」の歌碑がありました。
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実在モデル村野鉄男たる野村俊夫さんとはどんな人?
福島行進曲は村野鉄男(中村蒼)の恋歌?
朝ドラエールで音さんが椿姫のせつない想いを歌いあげましたね。「椿姫」オーディションに合格できて良かったです。
村野鉄男は失恋してしまったのですが、どんな人物なのでしょう。男前ですね。
朝ドラ「エール」で俳優中村蒼さんが演じる村野鉄男は、古関裕而(福島市出身)の幼なじみの作詞家野村俊夫さんがモデルです。
野村俊夫さんは20歳から7年ほど、福島民友新聞社の記者として勤務しておられました。
野村俊夫さんの実家は、古関裕而さんの家の向かいで「魚忠」という名の魚屋を営んでいました。二人は一緒によく遊んでいた仲良し。
鈴木忠八さん、アキさん夫妻の三男として生まれています。「魚忠」は店を開けていればお客が入るという、立地条件に恵まれたお店であり繁盛していました。
その家の3男として産まれ、ガキ大将に育っていきます。
父鈴木忠八さんが商品相場に手を出して、見事に失敗します。「魚忠」は経営が傾き、一家で仲間町へ引っ越しました。父親が家を傾けた原因という部分は、古関裕而さんと共通する部分があります。
野村俊夫さんは小学校卒業後、病気とそういった家庭の事情も重なって商業学校へ進学していましたが中退しました。中退してからは福島県のお金持ち・角田林兵衛の家に奉公に出ています。
そして、奉公しながら15歳の時に、新聞雑誌に俳句や童話を、投稿するようになります。そこでペンネームとして「野村俊夫」を使い始めたのです。
福島の富豪、角田林兵衛さんの元で働きながら新聞雑誌に俳句・詩・童話を投稿していました。なぜ両親の名字が「鈴木」なのに「野村」を名乗っているのでしょうか。
本名を名乗ってしまうとバレるので両親に知られないようにするための防衛策でした。
15歳で使ったペンネームをそのまま生涯使っているということで気に入ったのでしょう。本名は鈴木喜八と言います。結局勉強をしたいという願望が強く、隠れて勉強しているところを見つかってしまいました。家に帰って勉強するよう言われて、野村俊夫さんは家へ戻ることになります。
そんなことをしているうちに、学問に興味がわき独学で勉強を始め、福島新聞社で働くようになります。
新聞記者として働きながらも、詩も書くようになり、詩の雑誌「北方詩人」にも投稿していました。
野村俊夫さんは、最初から作詞家をしていたわけではありませんでした。
1924年、20歳の頃に福島新聞社に入社します。編集部・報道部・文芸欄を担当していましたが1931年に退社します。
すでにコロムビア専属作曲家として上京していた古関裕而さんに勧められ、野村俊夫さんも上京を始めました。
福島行進曲は村野鉄男(中村蒼)の恋歌?
ドラマでは、鉄男が書いた歌詞に刺激され、捨てた故郷に向き合おうと思い立った裕一が曲をつくり、地方小唄でまだ手薄の東北方面だったことでレコード化。
その年に、古関裕而さんと組んだ初めてのレコードが「福島行進曲」です。
上京前に書き上げて温めていたものが満を持して発売されたのでした。
昭和40年代に流行るご当地ソングの原型のような「地方小唄」が昭和一桁の頃流行っていたようです。
地方から東京に働きに出てくる人々の増加によって、東京と地方都市をつなぐ歌が求められていました。
歌詞には福島のランドマーク(福ビルヂング)も織り込まれ、地方小唄にぴったりでした。
曲調は、クラシック以外で彼が親しんでいた民謡調です。
「福島行進曲」を歌ったのは、帝劇出身のオペラ歌手・天野喜久代(ドラマでは川野三津代)でした。
久志はまだ無名の学生だったので歌手デビューができなかったことが残念でしたね。
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エール!心に響く環先生の言葉
双浦環先生の音に対する言葉は、重かったですね。
「あなたにはヴィオレッタとしての責任はあるし、全うする義務がある。プロはたとえ子供が死にそうになっていても、舞台に立つ人間の事を言うの。あなたにその覚悟はある?」
プロとは何があっても舞台に穴を開けない人間の事だという若い音に言い聞かせた言葉。
環先生ブレないな…この厳しさが根を張って第一線で活躍できているわけです。
裕一の「船頭可愛いや」 を環が歌う事に反対する小山田先生は「 赤レーベルの新人風情がおこがましい」と。
環先生「その眼…見たことがあります。ドイツで先生と同じ目をした芸術家を沢山見ました。彼らは自分の立場を脅かす新しい才能に敏感です」
小山田先生「馬鹿馬鹿しい…」 環の言葉が突き刺さりましたね。
わなわなとした小山田先生役の志村けんさんの表情が!目の動きが!上手かったですね。
小山田先生と会った時に「君とここで会うのは珍しいな」と言われたセリフから、じゃあ私的な場面ではよく会っていたのかなあ?と思いませんか。
「プッチーニが私を見つけくれたから」という環先生の言葉。その後、裕一を見つけてくれたのは環先生ということになるかな。
ストレートな言葉と心模様
音は舞台の稽古に行かなければならないが、悪阻がひどくて寝込んでしまう場面では、
裕一に「裕一さん代わりに産んでよ」「どうして女だけ…」と俯いた音が切なかったですね。
なんで女だけが夢を諦めなくちゃいけないの、という音の言葉は重いです。
その夢を自分に預けて欲しいと言う裕一のカッコいい言葉!
「夢を預かる」そんな考え方・言い回しができるのだなあと美しい言葉でジーンとしました。
裕一のまっすぐな言葉、音の素直な思い、お互いの夢を預かりあう生き方って素晴らしいです。
夢と愛をどちらも掴もうとするなんて、千鶴子の言う「強欲」なのかも。
そして、音の姉・吟が呟いた「いいなぁ、赤ちゃん…」という言葉も引っかかりました。
吟も赤ちゃんを切望しているのですね。きっと。
退学する音を見送った後の双浦環の微妙な表情。
過去に彼女は子供が死にそうになっても舞台に立つことを選んで失ったのでしょうか?
音の言葉を受け、環先生の複雑な表情で音楽しか掴めなかった憂いを感じます。
持つものと持たざる者との対比で残酷さをも感じさせます。
女の子誕生!可愛いですね。デレデレの裕一。
環先生の言葉を聞いて「怖くなった。この子を失うなんて絶対 嫌だって・・・」
と言った音になんかふつうの女性として安心しました。
「ほとんどの人が茨の道ではなく平凡な人生を選ぶ」という環先生の言葉。
環先生はどれだけの犠牲を払って生きてきたのだろう。
千鶴子と通ずる部分がありますね。
双浦 環こと三浦 環さんてどんな人?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 – 1946年(昭和21年)5月26日)は、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて「マダム・バタフライ」と称され、国際的に広く知られた。元の名は柴田環(しばた たまき)、次いで藤井環(ふじい たまき)といった。作曲者自身から激賞されたように「蝶々さん」が当たり役であり、その正統的で模範的な演技で評価された。少女時代に日舞を学んでいたこともあり、美しく自然な所作によって成功を掴むことができたといわれている。
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おしまいに
本日の朝ドラで芸者見たさに駆けつけた
鉄男、久志旧友ふたりの間抜け顔
良かったですね~。
でも「船頭可愛や」を歌った井上希美さんの美声に
裕一、鉄男、久志もびっくりでしたからね。
朝から素敵な歌声が聴けてよい一日の始まりでした!
幼なじみでつながる人間模様で古関裕而さんの物語が楽しくて笑いと涙で朝から大変です。
また、環先生の言葉ってステキですよね。
言葉を通じてプロとしての生き様の厳しさ、力強さを感じます。
心に響く言葉に生き様が現れますね。
このドラマの題名そのもの「エール」をもらって毎朝仕事にでかけます。