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栄冠は君に輝く作詞者は誰?球児に託された想い誕生秘話とは?

秘話

2020年夏、夏の風物詩である「雲はわき 光あふれて…」で始まる歌「栄冠は君に輝く」は、甲子園で流れませんでした。今年の夏は、やはり寂しかったです。

 

この「栄冠は君に輝く」の作詞者は加賀大介氏です。太平洋戦争終戦の3年後の1948年(昭23)加賀氏が33歳のときに作られたものです。

古関裕而先生の作曲されたメロディは子供の頃から耳にしていましたが、この歌詞に興味を抱いたのはNHK連続ドラマ「エール」がきっかけです。

 

「栄冠は君に輝く」の歌詞は3番まであり、作詞家の秘められた想いがあることに気づかされたのは最近のことでした。

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「栄冠は君に輝く」の歌詞

作詞 加賀大介
作曲 古関裕而

雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球
今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは歓呼に応え
いさぎよし
ほほえむ希望
ああ 栄冠は君に輝く

風をうち 大地をけりて
悔ゆるなき
白熱の力ぞ業ぞ
若人よ いざ
一球に一打をかけて
青春の賛歌をつづれ
ああ 栄冠は君に輝く

空を切る 球のいのちに
かようもの
美しく匂える健康
若人よ いざ
緑濃き 櫚梠(しゅろ)の葉かざす
感激をまぶたに描け
ああ 栄冠は君に輝く

「栄冠は君に輝く」誕生秘話とは?


「栄冠は君に輝く」を作詞したのは加賀大介氏です。短歌や演劇の会を主宰し、脚本を書いていたプロの文筆家でした。

1948年に朝日新聞が募集した全国高等学校野球選手権大会の大会歌に応募し、5,252篇中の1位となったのです。
しかも、その当時婚約者であり後に奥さんとなる道子さんの名前を借りて応募し1位を獲得したのです。

名前を借りたのは「懸賞金目当て」と思われるのが嫌だったのが理由のようです。

1968年の第50回大会を機に加賀氏は真相を公表し、晴れて「加賀大介作詞・古関裕而作曲」と表記されるようになりました。

加賀氏は1914年石川県能美郡根上町出身の生まれ。

石川県根上町(現能美市)で育った加賀(本名・中村義雄)は、野球少年でした。まだ日本が貧しく、野球用具も乏しかった少年時代に、手作りのボール、グラブは珍しくありませんでした。

そんな環境でも、加賀は野球を愛していたといわれています。

家庭の事情で進学せず、地元で工員をしながら野球を楽しんでいたのですが、悲劇に襲われます。

16歳の時に、草野球をしていて足先の怪我をし、それを放って置いたことがもとで、骨髄炎になり足を切断、野球のできない不自由な体になってしまいます。

右脚は、膝から下が無かったのです。その悔恨とくやしさを文筆、創作によって自分を著すことに打ち込んでいきます。

敗戦直後の生き生きとした自由があった時代、この歌が作られたと伝えられています。

加賀氏は2番の歌詞の冒頭にこう書いています。

「風を打ち 大地を蹴りて・・・」  

かなわなくなった大地を蹴る夢を、若者たちに託す、切なくも深い思いがこもっています。

文学に生きるなか、野球への思いを若者へのエールとともに歌詞に込めています。

加賀の「栄冠は君に輝く」を手にした古関先生は、実際に甲子園球場を訪れ、マウンドにたたずみ、名曲を生み出したと言われています。
加賀氏は1973年に58歳で他界しました。

その翌年に、同じ根上町で、希代のスラッガー、松井秀喜氏(星稜高卒業。巨人、ヤンキース、アスレチックスでプレー。2013年国民栄誉賞受賞)が生まれています。

この奇遇が「加賀氏の生まれ変わりなのではないか」と以前テレビでも紹介されました。

しかし高校野球を愛した加賀氏が、なぜか一度も甲子園を訪れることがなかったそうです。

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おわりに

加賀氏の妻の道子夫人(95)がお話されています。

「夫の思いがもっとも伝わる箇所は3番で『健康』。

草野球に熱中し、はだしで運動場を走り回る活発な少年が16歳のとき、夢を奪われました。」

夫から聞いた話では「野球は早慶戦を欠かさずラジオで聞いていて。手術のときもラジオを入れてほしいと」。実況を聞きながら右足の膝下を切断したのだとか。

グラウンドに立てなくなった加賀氏は文学に打ち込んでいました。

ただ「『栄冠は君に輝く』の題目は、前々から温めていたものでした」と。

一気に詞を書き上げたと伝えられています。

道子夫人は「自分も健康で野球をしていたのにできなくなった残念な気持ちが歌詞に十分、出ているといつも思います」と話されています。

また、長女の新川淑恵氏からは「歌は父のメッセージであり、生前のポリシーだと思うんです。

母はよく言いますが、勝者ではなく、スポーツの勝ち負けでもなく、父の人生を振り返っても、自分の夢や努力してもかなわなかった人に対してのエールです。

正面から『頑張れ』ではなく、その人の肩を押してくれる歌です」とお話されていました。

72年前に生まれた歌は、これからも高校球児を励まし続けていく甲子園大会にぴったりの歌詞です。

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