少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀る粟嶋神社(あわしまじんじゃ)が、鳥取県米子市にあることをご存知でしょうか。
こちらの神社を知ったのも縁者のおかげです。御年89歳になられた宮司さんにお話を伺うことも出来ました。
生い茂った木々たちは夏の強い日差しを遮ってくれています。この神社には187段の古びた石段があり、上って行くとそのてっぺんに小さな御社がありました。
年老いた身には階段の上り下りもご苦労である上に、境内の掃除が大変であること、この落ち葉との戦いであるというエピソードを聞き、なんだか力強いパワーを頂けました。
一寸法師ゆかりの粟嶋神社はどこ?
所在地: 鳥取県米子市彦名町1404番地
アクセス: JR米子駅より車で10分
粟島神社は、標高38mの小高い丘にあります。JR米子駅や米子水鳥公園からも程近い距離に位置しています。
粟嶋神社のルーツ
粟島神社は、187段という長い石段を登りつめると、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る御社があります。
粟島は、今では米子市内と陸続きですが、江戸時代までは中海に浮かぶ小さな島だったようです。
古(いにしえ)より「神の宿る山」として信仰されており、「伯耆風土記」によると、「少彦名命」が粟の穂に弾かれ、常世の国へ渡られたため、この地は粟島と名付けられたと伝えられています。
一寸法師ゆかりのスクナヒコナの神様について
少彦名命(スクナヒコナノミコト)は、海の彼方にある常世の国から光り輝きながら渡って来た小人神であり、日本神話の中でも人気者です。
神話に登場する少彦名命は、手に乗るほど小さい姿をした神様であり「御伽草子(おとぎぞうし)」の一寸法師といった「小さ子(ちいさこ)」のルーツとされています。
因幡のしろうさぎを助けた大国主命(オオグニヌシノミコト)は、医学の神様でもあります。皮を剥がれて赤裸にされた 可愛そうなうさぎを助けたお話は有名ですね。
ガマを刈り取って穂をはたくと、黄色い「 穂黄(ホオウ)」という花粉が取れるそうです。これは中国漢方の生薬で、止血剤、鎮痛剤、利尿剤として用いられるとされます。
大国主命と共に、国造りを担った少彦名命もまた、医療を人々に広めた神とされます。少彦名命は、殊に、まじないの術に長けており、病気に苦しむ動物や人を救ったと伝えられています。
豊かな知識や技術も備え、腕力ではなく持ち前の知識力で様々な困難を見事に克服していく姿に人気があったとされます。神徳は医薬・酒・温泉などに関わることから、万民の病難を救う霊力が中心です。
様々な仕事をやり終えた少彦名命は、最後に粟島で粟(あわ)の茎にのぼり、その弾力を利用してはじき飛ばされるようにして常世の国に渡ったという説などもあります。
粟嶋神社の景色は米子にあるトトロの森
粟嶋神社に到着すると、うっそうと茂る木々と階段の光景にトトロの森を思わせます。
この茂る原生林の森は、「神の宿る森」として1000年以上の長きにも渡って、地域の人々に大切に守られてきて今に至っています。
こちらには珍しい品種の植物が数々自生しており、鳥取県の天然記念物、また米子市の名勝にも指定されているようです。
ここから望む「粟島の秋月」は「錦海八景(きんかいはっけい)」とも言われてきました。「錦海」とは、中海の古い呼び名です。かつて粟島の山頂から落陽を映して輝く錦海と謳われてきました。神の宿る山と森からの眺めはあなたの目にどう映るでしょうか?
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粟嶋神社にある洞穴
粟島の洞穴は「静の岩屋(しずのいわや)」と呼ばれています。
ここに伝わる昔話では、このあたりの漁師の集まりで、珍しい料理が出されましたが誰も気味悪がって食べず、一人の漁師が家に持ち帰りました。
それを、何も知らない娘が食べてしまいました。その肉は、いつまで経っても寿命が来ないと言われている人魚の肉だったのです。
人魚の肉を食べてしまった娘はいつまで経っても18歳のまま、寿命が来ません。やがて世をはかなみ、尼さんになって粟島の洞窟に入り、物を食べずに寿命が尽きるのを待ちました。とうとう寿命が尽きたときの年齢は八百歳だったとか。
その後「八百比丘(はっぴゃくびく)」と呼ばれ、延命長寿の守り神として祀られるようになりました。少し勇気がないと薄暗い粟島の洞穴には足が向きませんでした。
おしまいに
鳥取県の天然記念物、また米子市の名勝にも指定されていた古い歴史のある粟嶋神社でした。
いにしえの人々の建築技術に驚かされます。山のてっぺんまで建材を運ぶのは大変だっただろうなあと思います。この187段のすり減った石段に歴史を感じます。
石段には木から落ちた青い実がコロコロころがっていました。本当にお掃除は大変ですね。粟嶋神社のお参りを終えて一寸法師が大きくなったように、とても元気のパワーを頂きました。