福島行進曲は村野鉄男(中村蒼)の恋歌?実在モデル野村俊夫さんとは?

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朝ドラエールで音さんが椿姫のせつない想いを歌いあげましたね。「椿姫」オーディションに合格できて良かったです。
村野鉄男は失恋してしまったのですが、どんな人物なのでしょう。男前ですね。

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村野鉄男たる野村俊夫さんとはどんな人?


朝ドラ「エール」で俳優中村蒼さんが演じる村野鉄男は、古関裕而(福島市出身)の幼なじみの作詞家野村俊夫さんがモデルです。

野村俊夫さんは20歳から7年ほど、福島民友新聞社の記者として勤務しておられました。

野村俊夫さんの実家は、古関裕而さんの家の向かいで「魚忠」という名の魚屋を営んでいました。二人は一緒によく遊んでいた仲良し。

鈴木忠八さん、アキさん夫妻の三男として生まれています。「魚忠」は店を開けていればお客が入るという、立地条件に恵まれたお店であり繁盛していました。

その家の3男として産まれ、ガキ大将に育っていきます。


父鈴木忠八さんが商品相場に手を出して、見事に失敗します。「魚忠」は経営が傾き、一家で仲間町へ引っ越しました。父親が家を傾けた原因という部分は、古関裕而さんと共通する部分があります。

野村俊夫さんは小学校卒業後、病気とそういった家庭の事情も重なって商業学校へ進学していましたが中退しました。中退してからは福島県のお金持ち・角田林兵衛の家に奉公に出ています。

そして、奉公しながら15歳の時に、新聞雑誌に俳句や童話を、投稿するようになります。そこでペンネームとして「野村俊夫」を使い始めたのです。

福島の富豪、角田林兵衛さんの元で働きながら新聞雑誌に俳句・詩・童話を投稿していました。なぜ両親の名字が「鈴木」なのに「野村」を名乗っているのでしょうか。

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本名を名乗ってしまうとバレるので両親に知られないようにするための防衛策でした。

15歳で使ったペンネームをそのまま生涯使っているということで気に入ったのでしょう。本名は鈴木喜八と言います。結局勉強をしたいという願望が強く、隠れて勉強しているところを見つかってしまいました。家に帰って勉強するよう言われて、野村俊夫さんは家へ戻ることになります。

そんなことをしているうちに、学問に興味がわき独学で勉強を始め、福島新聞社で働くようになります。

新聞記者として働きながらも、詩も書くようになり、詩の雑誌「北方詩人」にも投稿していました。

野村俊夫さんは、最初から作詞家をしていたわけではありませんでした。

1924年、20歳の頃に福島新聞社に入社します。編集部・報道部・文芸欄を担当していましたが1931年に退社します。

すでにコロムビア専属作曲家として上京していた古関裕而さんに勧められ、野村俊夫さんも上京を始めました。

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福島行進曲は村野鉄男(中村蒼)の恋歌?


ドラマでは、鉄男が書いた歌詞に刺激され、捨てた故郷に向き合おうと思い立った裕一が曲をつくり、地方小唄でまだ手薄の東北方面だったことでレコード化。

その年に、古関裕而さんと組んだ初めてのレコードが「福島行進曲」です。

上京前に書き上げて温めていたものが満を持して発売されたのでした。


昭和40年代に流行るご当地ソングの原型のような「地方小唄」が昭和一桁の頃流行っていたようです。

地方から東京に働きに出てくる人々の増加によって、東京と地方都市をつなぐ歌が求められていました。

歌詞には福島のランドマーク(福ビルヂング)も織り込まれ、地方小唄にぴったりでした。

曲調は、クラシック以外で彼が親しんでいた民謡調です。

「福島行進曲」を歌ったのは、帝劇出身のオペラ歌手・天野喜久代(ドラマでは川野三津代)でした。

久志はまだ無名の学生だったので歌手デビューができなかったことが残念でしたね。

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おしまいに

幼なじみでつながる人間模様で古関裕而さんの物語が楽しくて笑いと涙で朝から大変です。

このドラマの題名のようにエールをもらって毎朝仕事にでかけます。

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